ビーフジャパン 古山牧場
東日本大震災乗り越え新天地で再起、故郷でも経営再建目指す:ビーフジャパン 古山牧場

2022.06

株式会社ビーフジャパンと関係者の皆さん

福島県いわき市の株式会社ビーフジャパンは、東日本大震災を乗り越え、繁殖農家としては県内最大級にまで規模拡大を実現した。震災前には浪江町と南相馬市の2拠点で和牛の肥育農場を経営していたが、震災を機にいわき市に移住。新天地で繁殖に転換し、経営再建、規模拡大に励んできた。「これまで多くの人に助けてもらい感謝しています」と話す同社代表の古山優太さん(38)。将来は、故郷の浪江町での農場経営も目指す。

計画的避難区域に指定「無我夢中」で農場を移転

「いずれは浪江町でも」「畜産経営生涯続ける歩み止めず、まだまだ挑戦

 震災前、優太さんは南相馬市、父の久夫さん(66)は福島第一原子力発電所に近い浪江町津島地区で肥育牛を飼養していた。経営も軌道に乗り、優太さんに子どもも生まれて一層頑張ろうと思った矢先、東日本大震災が発生。生まれたばかりの子どもと避難所に身を寄せたが、「牛のことを放っておけない」と毎日農場へ通った。しかし、追い打ちをかけるかのように、同町津島地区は避難しなくてはいけない計画的避難区域に指定され、先の見えない状態に。久夫さんは、県に相談して農場の移転を決意した。ただ、なかなか場所が決まらず、いわき市に移転できたのは3カ月後。約300頭の牛を移動させたが、トラックには一度に15頭しか乗せることができず、移動作業は困難を極めた。久夫さんは「とにかく無我夢中だった」と当時を振り返る。

代表の古山優太さん

 久夫さんに続き、2012年には優太さんもいわき市に移住した。移住を後押ししてくれたのが、南相馬市で近所だった畜産農家だ。移転準備に追われていた優太さんに、「出荷まで世話してやっから」と声をかけ、飼養していた牛の面倒を出荷まで見てくれた。そのおかげで、牛の移動をする必要がなくなり、スムーズに移転することができた。優太さんは「今ではいわき市と南相馬市で遠くなってしまい、なかなかあいさつにも行けませんが、本当に感謝しています」と話す。

肥育から繁殖へ転換ICTを積極活用

 いわき市に移ってからも、大雪で畜舎が倒壊するなど苦労の連続だった。周囲からは、「牛をやっている場合じゃない」といわれたことも。しかし、「牛のいない暮らしは考えられない」と経営を断念することは頭になかった。いわき市に移転後は、畜舎を借りて飼育していたが、徐々に「自前の畜舎で育てたい」という思いが募り、同市の三和地区で造成に乗り出して畜舎を建設、15年に農場を移した。

 知り合いもいない新天地だったため、以前のようにいかないことも多かった。堆肥を必要とする農家仲間もおらず、処理にも悩んだ。そこで、「繁殖経営であれば、肥育に比べて堆肥が出ず経営しやすい」と考え、同地への移転を機に繁殖経営へ転換。母牛50頭規模で経営を本格化させた。17年には、規模拡大を目指して法人化し、株式会社ビーフジャパンを設立。県や農林中央金庫、地元のJA福島さくらなどが協力し、営農計画の策定や畜産クラスター事業の活用などに取り組んだ。特に営農計画策定に当たって、増頭規模の調整には苦労したという。

牛の発情を24時間監視できる「牛温恵」
ゆったりとした畜舎内

 21年3月には新たな牛舎が完成した。5.8haの農場には現在、8棟の畜舎が建つ。

 畜舎では、牛の管理をしやすくするため、情報通信技術(ICT)を積極的に活用している。母牛を監視できるカメラを合わせて8台導入。労力を軽減しながら、24時間体制で見守る。採食・飲水・反すう・動態・横臥・起立などの主要な行動を記録できる行動モニタリングシステムや「牛温恵」も活用し、牛の発情や体調の変化を逃さず確認して作業を省力化する。機械を活用する一方、従業員によくいう一言は「牛をよく見ろ」。機械に頼りすぎず、人の目も大事にし、小まめな管理を徹底する。何気ない雑談も牛を見ながらだ。

増頭に意欲繁殖肥育一貫経営が夢

 いろいろな飼料を与える農家が多い中、同社では、配合飼料は全てくみあい飼料から購入している。子牛には、代用乳の「ミルダッシュ」や糖蜜がふんだんに含まれた人工乳、ヘイキューブなどが含まれた育成用配合飼料を与える。同社を担当するJA全農北日本くみあい飼料福島営業所の菅ノ澤友哉さんは「福島県は寒い。寒い環境だと子牛は寒さに耐えるため、余計なエネルギーを使い、増体が思うようにいかなかったり、体調を崩したりする原因になります」とし、「エネルギー変換効率がいい飼料やビタミンを強化した製品を選んでいます」と話す。今後は初乳の代用乳「さいしょのミルク」も使う予定だ。

 また、優良な子牛の生産のために気をつけているのが体調管理。哺乳の段階からたくさん飲ませる意識を持ち、お腹を壊さないぎりぎりの量を見極めて餌を与えている。

生まれたばかりの子牛たち

 まだ増頭の途中だが、母牛は現在280頭。子牛の主な出荷先は本宮市の福島県家畜市場で、昨年は51頭を出荷、来年は180頭を見込む。5年後をめどに繁殖肥育一貫経営を目指しており、母牛300頭、子牛240頭、肥育100頭が目標だ。増頭に意欲的な理由は、宮崎県の農業法人で働いた経験が大きいという。繁殖だけで3000頭の大規模農場だったことから、「50頭ぐらいの飼育では物足りない」と優太さん。多頭飼育のノウハウもその時に学んだ。優太さんと約10年の付き合いというJA福島さくら畜産課の担当者は、日頃から増頭など経営のアドバイスをしてきた。「優太さんには、畜産経営への並々ならぬ熱い気持ちを感じていた。時には積極的な優太さんのブレーキ役となり、経営のお手伝いをさせていただいた」と振り返る。

関係築き耕畜連携故郷での経営も目指す

堆肥づくりのために導入したコンポスト
古山さんの奮闘を支えてきた
JA福島さくら畜産課の担当者
コンポストの管理と堆肥づくりは久夫さんが担当

 今では地元の農家らと関係を築き、耕畜連携にも取り組む。市内で作られた稲わらを購入して餌にし、できた堆肥を販売する。堆肥は専用のコンポストを使って製造。糞塊がないさらさらとした堆肥に仕上げ、においもなく利用する農家から好評だ。数百戸の農家が利用するほど人気を集めている。手間はかかるものの故郷を大事にしたいという思いから、浪江町の農家にも堆肥を配達している。優太さんは「増頭のおかげで、稲わらを消費できる量が増えてきた。地元の農家から稲わらを買ってほしいという要望を受けるので応えていきたい」と更なる地域連携にも前向きだ。

 優太さんは、県内の若手畜産農家でつくる「若人の会」の副会長も務める。畜産農家の情報交換に努め、見学も積極的に受け入れる。「互いに高め合い、同年代の助けになりたい」と、自分が持つ技術だけでなく、費用などの情報も包み隠さず教えている。「震災以降、多くの人に助けてもらった」と話し、その恩返しとして地域を盛り上げることを心に誓う。

 将来は、浪江町での経営も志す。準備が整わず今年開かれる第12回全国和牛能力共進会(鹿児島全共)への挑戦を見送るが、「5年後の次回大会には挑戦し、浪江から牛を出したい」と力を込める。

 移住して10年が経ち、新天地での経営も軌道に乗ってきた。久夫さんは「未来に向けて、少しでも市場で高く売れる良い牛をつくるのが目標です」、優太さんは「牛が幸せだと私も幸せを感じます。畜産経営は生涯続けたいと思っています」と、これからも歩みを止めず挑戦を続けていく。

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